文学・思想の一丁目一番地
魯迅入門 哲学入門シリーズ177
第一章 魯迅ってどんな人?
魯迅とは、ただ有名な中国作家だった人ではない。中国の近代が抱えた傷と、そこに生きる人間のねじれを、文学で診断しようとした人である。本名は周樹人、一八八一年に浙江省紹興で生まれ、一九三六年に上海で亡くなった。二十世紀中国文学でもっとも重要な作家の一人と見なされ、小説家であると同時に、批評家、思想家、翻訳者、教育者でもあった。つまり魯迅は、作品をいくつか残しただけの人ではなく、近代中国が自分をどう見直すか、その視線そのものを作り変えた人だったのである。
彼を理解するには、まず若いころの生活を見たほうがいい。魯迅はもともと、伝統的でそれなりに地位のある家に生まれたが、家庭は早くから傾いた。父は長く病み、家では薬を買うために質屋へ通わなければならなかった。のちに魯迅自身が回想しているように、少年時代の彼にとって、薬屋と質屋は抽象的な社会ではなく、屈辱と無力を肌で知る場所だった。しかも祖父は収賄事件への関与で拘束され、家は政治と制度の腐敗にも直に巻きこまれた。魯迅が古い秩序をただ教養としてではなく、痛みを伴う現実として見たのは、この少年時代が大きい。
この出発点があるから、魯迅は最初から机の上の文学青年ではなかった。彼は日本へ渡り、仙台で医学を学んだ。普通に考えれば、父を苦しめた病を思えば、医者を志したのは自然である。身体の病を治せる人になりたかったのだろう。ところが彼は、そこで進路を変える。中国に必要なのは肉体の治療だけではなく、もっと深いところで眠りこみ、麻痺している精神への働きかけではないか、と考えるようになったからである。ここで魯迅は、メスや薬で人を救う道から、言葉で人を揺り起こす道へ向かった。後の魯迅を貫くのは、文学とは娯楽ではなく、精神の治療であり、社会の診断であるという感覚だった。
この転向を象徴するのが、有名な「鉄の部屋」の比喩である。魯迅は『吶喊』の序文で、窓もなく壊れもしない鉄の部屋に、ぐっすり眠った人々が閉じこめられている場面を語る。まもなく息苦しさのうちに死ぬとしても、もしそのまま眠っていれば苦しみを知らずに終わる。では、そこで何人かを起こすことに意味があるのか。この問いに対して魯迅は、少数でも目を覚ます者がいるなら、絶望は完全ではないと受けとめた。ここに、魯迅の文学観がよく出ている。彼は楽観主義者ではない。だが、悲観だけで黙る人でもない。望みが薄くても、なお目を覚まさせるために書く。そのぎりぎりの姿勢が魯迅の核である。
だから魯迅の作品には、明るい成功者や立派な英雄があまり出てこない。彼が見つめたのは、敗北し、すり減り、傷つき、それでも自分が傷ついていることさえはっきり自覚できない人間たちだった。たとえば『狂人日記』では、主人公は社会の奥に「人を食う」論理を見抜く。『阿Q正伝』では、負けても負けを認めず、脳内で勝利へ言い換える人間が描かれる。魯迅が暴いたのは、単に制度の悪さではない。制度に押しつぶされながら、その制度を内面化し、自分や他人をごまかしつづける精神の形である。こうした人物が強烈なのは、魯迅が社会批判を、道徳の説教としてではなく、人間観察として書いたからだ。
しかも魯迅の重要さは、何を書いたかだけでは終わらない。どんな言葉で書いたかも決定的だった。『狂人日記』は一九一八年に発表され、日常の話し言葉に近い白話文を本格的な文学の器として押し出した代表作になった。それまでの古典的な文語だけではなく、いま生きている人間の息づかいに近い言葉で書くことは、単なる文体の変更ではない。だれに向けて語るのか、どの層を読者として想定するのか、その文学の向き先を変える行為でもあった。魯迅は中国の現実を批判しただけでなく、中国語の文学がどんな声で語るべきかまで変えたのである。
その後の魯迅は、小説だけを書いて静かに暮らしたわけではない。一九二〇年代から三〇年代にかけて、彼は雑文や評論で鋭い言論を続けた。学生虐殺に抗議し、北京を離れ、厦門、広州、上海へ移りながら、若い書き手や左翼系の学生を支えた。後年の魯迅は、長編小説を書く人というより、短くても鋭く刺す文章を大量に放つ人だった。ここにも彼らしさがある。彼は、完成された世界観を高みから講義するより、現実の不正や偽善に対して、その場で言葉を打ち返す戦う批評家だった。文学者でありながら、同時に戦闘的な公共知識人でもあったのである。
では、魯迅ってどんな人なのか。一言でいえば、人間の魂の鈍さに絶望しながら、それでも言葉を捨てなかった人である。父の病、家の没落、制度の腐敗、留学、医学から文学への転向、新文学運動、短編小説、雑文闘争、そのすべては一本の線でつながっている。その線とは、人はなぜこんなにも苦しむのか、しかもなぜ苦しみながら目を覚まさないのか、という問いである。たとえば熱がある人を見れば、医者は体温を測る。だが魯迅は、なぜ周囲の人々がその苦しみを見ているだけなのか、なぜ当人までその苦しみを正当化してしまうのか、そこまで診た。だから魯迅は作家である前に、社会と精神の病理を見抜こうとした診断者だったと言える。
次の章では、魯迅がなぜ医学をやめ、文学へ向かったのかをもっと掘り下げる。その転向の意味が分かると、『狂人日記』も『阿Q正伝』も、ただの名作ではなく、精神を揺り起こすための処方箋として見えてくる。
哲学入門シリーズ一覧に戻る
うしPのページに戻る