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バシュラール入門 哲学入門シリーズ183
第一章 バシュラールってどんな人?
ガストン・バシュラールは、科学の哲学者であり、詩の哲学者でもあった。普通なら、この二つは別々の領域に見える。科学は事実を調べ、式を作り、実験で確かめるものだと考えられやすい。詩は夢や比喩や感情を扱い、科学とは反対側にあるものだと思われやすい。しかしバシュラールは、その両方を一人で考えた。しかも、単に科学も好きで詩も好きだったという話ではない。人間の精神は、ある時には世界を厳密に知ろうとし、ある時には世界を夢みる。その二つの働きを、どちらも真剣に見つめた思想家だった。
バシュラールは一八八四年、フランスのバール=シュル=オーブという町に生まれた。彼の人生は、最初から大学の研究者として用意されていたわけではない。若いころには郵便局で働き、その後、数学や物理を学び、さらに哲学へ進んだ。学問の中心に最初からいた人ではなく、働きながら学び、遠回りをしながら思想家になった人である。この経歴は、彼の哲学を考えるうえで大事である。なぜなら彼は、知識とはただ受け取るものではなく、自分の思い込みを壊しながら作っていくものだと考えたからだ。
彼が生きた時代は、科学の姿が大きく変わった時代だった。十九世紀までの人々は、世界はだいたい見た目どおりであり、よく観察すれば自然の仕組みが分かると考えがちだった。ところが二十世紀に入ると、相対性理論や量子力学が現れ、日常感覚では理解しにくい世界が科学の中心になっていく。時間や空間は絶対ではなく、物質も粒のようで波のようでもある。こうした新しい科学は、常識の延長ではつかめない。バシュラールは、この変化を見ながら、科学とは常識を少しずつ積み上げるものではなく、常識を破って進むものだと考えた。
ここに、バシュラールの第一の顔がある。彼は、科学的に考えるとはどういうことかを問い続けた。人間は世界を見るとき、ただ透明な目で見ているのではない。すでに多くの思い込みを持っている。たとえば火を見ると、人はそれを温かさ、危険、浄化、情熱などと結びつける。水を見ると、清らかさ、深さ、流れ、死や再生を思い浮かべる。こうした連想は詩にとっては豊かな力になるが、科学にとっては誤解の原因にもなる。科学は、そうした最初の印象を疑い、壊し、作り直すところから始まる。
バシュラールは、この邪魔になる思い込みを「認識論的障害」と呼んだ。難しい言葉だが、意味はかなり身近である。何かを学ぶとき、人は何も知らないから間違えるのではない。むしろ、すでに何かを知っているつもりだから間違える。たとえば「重いものほど速く落ちる」と感じることがある。日常では、紙切れより石の方が速く落ちるように見えるからである。しかし空気抵抗を取り除いて考えると、問題の見え方は変わる。科学は、最初にもっとも自然に見える説明を、そのまま信じない訓練なのである。
この考え方は、バシュラールをとても現代的な思想家にしている。彼は、知識をただ増やすことより、知り方そのものを変えることを重視した。新しい知識は、古い知識の上にきれいに積み上がるだけではない。ときには古い考え方を否定し、問題の立て方を変え、見える世界そのものを作り替える。だから彼にとって、科学の歴史は発見の年表ではない。精神が何度も自分を修正し、古い直感を捨て、新しい合理性を身につけていく歴史だった。
一方で、バシュラールにはもう一つの顔がある。彼は、科学が退けた想像力を、ただの誤りとして捨てなかった。科学の場では、火への神秘的な連想や、水への感傷的な思い入れは、正確な認識を妨げるかもしれない。しかし詩や夢想の場では、それらは人間の内面を深く動かす力になる。火はただの燃焼現象ではなく、憧れや破壊や変身のイメージになる。水はただの液体ではなく、記憶や眠りや深淵のイメージになる。バシュラールは、この想像力の働きを、科学とは別の真剣さで考えた。
ここで重要なのは、彼が科学と詩を混同しなかったことである。科学は科学として、厳密でなければならない。詩は詩として、夢みる力を持たなければならない。科学の世界で詩的な連想をそのまま使えば、誤った説明になる。逆に、詩の世界を科学のように分解しすぎれば、イメージの生命が失われる。バシュラールの面白さは、科学と詩を一つに溶かすところではなく、それぞれの働きの違いを認めたうえで、どちらも人間の精神にとって不可欠だと考えたところにある。
彼の代表的な仕事には、『科学的精神の形成』『新しい科学的精神』『否定の哲学』のような科学哲学の本がある。そこでは、科学がどのように常識を乗り越え、より精密な考え方へ進むのかが論じられる。一方で、『火の精神分析』『水と夢』『空と夢』『大地と意志の夢想』『空間の詩学』のような本もある。そこでは、物質や空間が人間の夢想にどのような形を与えるかが語られる。タイトルだけを見ると、まるで別人の著作のように見える。しかし根には、世界と人間の関係を考える一つの関心がある。
たとえば『空間の詩学』で扱われる家は、ただ雨風をしのぐ建物ではない。家は記憶をしまう場所であり、孤独を守る場所であり、想像力が巣を作る場所である。屋根裏には上昇や明るさのイメージがあり、地下室には暗さや不安のイメージがある。引き出しや箱や戸棚は、秘密をしまう小さな宇宙になる。こうした見方を知ると、部屋や家や道具は、単なる物ではなくなる。世界は、使う対象であるだけでなく、夢みられる場所でもある。
バシュラールは「二つの読み方」を教えてくれる思想家だと言える。一つは、見たままを疑う読み方である。これは科学の読み方であり、最初の印象を壊し、概念を鍛え、より正確に考えるための態度である。もう一つは、見たものの奥にあるイメージを育てる読み方である。これは詩の読み方であり、火や水や家や空間が、人間の心にどんな響きを持つのかを感じ取る態度である。前者は思い込みから自由になる力であり、後者は世界を貧しくしない力である。
バシュラールを読む価値は、用語を覚えることだけにあるのではない。むしろ、日常の見え方が変わることにある。何かを学ぶとき、まず自分の中にある「分かったつもり」が障害になるかもしれないと考えられるようになる。家の中にいるとき、その空間がただの四角い部屋ではなく、自分の記憶や安心や不安を支える場だと感じられるようになる。科学の記事を読むときも、詩の一節を読むときも、そこに別々の精神の働きを見分けられるようになる。バシュラールは、その見分ける力を育てる哲学者である。
バシュラールは一言で説明しにくい。科学哲学者と言えば詩の仕事がこぼれ落ち、詩の哲学者と言えば科学への厳しさがこぼれ落ちる。彼は、合理主義者でありながら夢想の人であり、常識を疑う人でありながらイメージを愛した人だった。科学は、私たちを最初の印象から遠ざける。詩は、私たちを世界の親密さへ近づける。バシュラールは、その二つの運動を同時に見た。そこに、この思想家の独自性がある。
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