文学・思想の一丁目一番地
グラムシ入門 哲学入門シリーズ200
第一章 グラムシってどんな人?
部屋に入った瞬間、そこで何をしてよくて、何をしてはいけないかが、なんとなくわかることがある。大声を出してはいけない場所、みんなと同じ向きに座る場所、黙って待つ場所、余計なことを言うと空気が悪くなる場所。誰かが命令したわけではない。それでも身体のほうが先に察する。声は小さくなり、背筋は少し固くなり、場に合わせた顔になる。社会とは、しばしばそのように働く。法律や警察が出てくる前に、人はすでに空気を読んでいる。
グラムシが見ようとしたのは、まさにこの「命令されていないのに従ってしまう感じ」だった。もちろん、彼は空気の読み方を教えるマナーの思想家ではない。彼が生きたのは、貧困、戦争、労働争議、革命の期待、ファシズムの暴力が重なった二十世紀前半のイタリアである。だが彼の問いは、遠い政治史の中だけにあるのではない。なぜ人は苦しい状態に置かれていても、それを仕方ないと思うのか。なぜ不満はあちこちにあるのに、一つの力にならないのか。なぜ支配は、殴ることだけでなく、納得させることによって続くのか。
アントニオ・グラムシは、一八九一年、イタリアのサルデーニャに生まれた。サルデーニャは、統一されたイタリアの中でも周辺に置かれた土地だった。中心から遠く、貧しく、南部問題と呼ばれる地域格差の現実が濃く残っていた。つまりグラムシは、最初から「国民」という言葉のきれいな響きだけを信じられる場所にいたわけではない。同じ国に属しているはずなのに、中心と周辺があり、声の届きやすい人と届きにくい人がいる。その感覚は、後の彼の思想に深く残る。
このことは、教室の中に置き換えるとわかりやすい。全員が同じ制服を着て、同じ校歌を歌い、同じ時間割で動いているとしても、実際には発言しやすい生徒と黙り込む生徒がいる。先生にすぐ名前を覚えられる生徒もいれば、存在が背景のように扱われる生徒もいる。形式上は同じ集団でも、その内部には力の差がある。グラムシにとってイタリアという国も、そのような場所だった。国家はひとつに見えても、そこには北と南、都市と農村、工場労働者と農民、知識人と民衆の深い割れ目があった。
若いグラムシは、奨学金を得てトリノ大学へ進んだ。トリノはサルデーニャとはまったく違う世界だった。そこには工場があり、労働者が集まり、新聞があり、政治運動があり、新しい時代の速度があった。田舎の周辺性を身体で知った青年が、北部工業都市の中心へ入っていく。これは単なる上京物語ではない。彼の中で、周辺から見た国家と、都市から見た近代がぶつかったのである。
工場は、ただ物を作る場所ではない。時間を区切り、人を並べ、作業を分け、号令に従わせる場所でもある。朝、同じ時刻に人が集まり、機械の速度に合わせて働き、賃金を受け取り、疲れて帰る。そこでは人間の身体が、社会の仕組みに直接つながれている。グラムシは、この工場の世界の中に、単なる苦役だけでなく、新しい政治の可能性も見た。働く人びとは、ただ命令されるだけの存在なのか。それとも、生産を理解し、職場を組織し、社会を作り直す主体になれるのか。
この問いから、グラムシは社会主義運動へ深く入っていく。彼は新聞を書き、議論し、労働者の教育にかかわり、工場評議会運動に力を注いだ。ここで大事なのは、彼が思想を机の上だけで考えたのではないという点である。新聞の文章、職場の会議、労働者の言葉、党内の対立、街頭の緊張。そうした具体的な場面の中で、彼の考えは鍛えられていった。思想とは、静かな書斎に置かれた完成品ではなく、現実にぶつかりながら形を変える道具だった。
やがてイタリアでは、第一次世界大戦後の混乱の中でファシズムが台頭する。人びとの不安、秩序への欲望、暴力、国民的な誇りの演出が結びつき、ムッソリーニの体制が力を増していく。ここでグラムシに突きつけられた問題は重かった。なぜ社会主義の側は、これほど多くの不満があるにもかかわらず、決定的な力を作れなかったのか。なぜファシズムは、単なる暴力団のように現れながら、やがて国家と社会の支持を集めることができたのか。
普通なら、支配は上から押しつけられるものだと考えたくなる。強い者が弱い者を従わせる。軍隊や警察が脅す。法律が縛る。それは間違いではない。だが、それだけでは足りない。もし人びとが内心でまったく納得していなければ、支配は常にむき出しの力に頼らなければならない。ところが現実には、多くの人が「まあ、そういうものだ」「仕方がない」「ほかに方法がない」と思いながら、秩序の中で暮らしている。グラムシはこの部分を見逃さなかった。
たとえば、ある職場で無理な働き方が続いているとする。上司が毎日怒鳴っているわけではない。それでも、誰も定時で帰らない。新人は先輩の背中を見て、帰ってはいけないのだと学ぶ。残る人がまじめで、帰る人がわがままだという空気ができる。こうなると、命令は不要になる。人びとは自分から従っているように見える。しかしその「自分から」は、社会的に作られている。この仕組みを大きな社会全体へ広げて考えると、グラムシの問いに近づく。
一九二六年、グラムシはファシスト政権によって逮捕される。検察官は、彼の頭脳を二十年間働かせてはならない、という趣旨の言葉を述べたと伝えられている。だが皮肉なことに、獄中でこそ彼の思想は深まった。健康を損ない、自由を奪われ、検閲に注意しながら、それでも彼はノートを書き続けた。そこから生まれたのが、後に『獄中ノート』と呼ばれる膨大な断章群である。
『獄中ノート』は、完成された教科書ではない。むしろ作業机の上に、書きかけのメモ、別の角度からの考察、言い換え、途中で止まった問いが積み重なっているようなものだ。だからグラムシの思想は、一つの定義を覚えれば済むものではない。ヘゲモニー、常識、知識人、国家、市民社会、政党、南部問題、フォーディズム。それらは別々の箱に入った概念ではなく、互いにつながった回路である。支配がどのように同意を作るのか。従属する人びとが、どうすれば自分たちの言葉と組織を持てるのか。その問いの周りを、彼は何度も回りながら考えた。
グラムシの独自性は、経済を軽く見たことではない。むしろ、経済だけでは社会が動かないことを見抜いた点にある。貧しさがあるだけでは、ただちに政治的な力は生まれない。不満があるだけでは、ただちに変革は起きない。必要なのは、不満を言葉にし、言葉を共有し、共有された言葉を組織へ変え、組織を新しい常識へ育てることである。腹が減っていることと、なぜ腹が減っているのかを説明できることは違う。さらに、その説明を仲間と共有し、社会を変える力にすることは、もっと違う。
ここに、グラムシの思想の温度がある。彼は、民衆をただ救われるべき弱者として見たのではない。かといって、民衆の常識をそのまま賛美したのでもない。人びとの日常意識には、古い偏見も、諦めも、支配者側の言葉も混じっている。だが同時に、そこには現実を見抜く感覚や、正しさへの直感も含まれている。グラムシは、そのばらばらの意識の中から、よりよく考える力を育てようとした。常識を単に壊すのではなく、常識の中にある良識の芽を伸ばそうとしたのである。
だから、グラムシを読むことは、政治家や革命家の名前を覚えることではない。日常の中で、どの言葉が人を従わせ、どの言葉が人を立ち上がらせるのかを見ることでもある。学校で「みんな同じであるべきだ」と言われるとき、会社で「責任感があるなら我慢すべきだ」と言われるとき、社会で「政治のことは難しいから任せておけばいい」と言われるとき、そこにはヘゲモニーの働きがある。だが同じ日常の中に、「これは本当に当たり前なのか」と問い直す力も眠っている。
グラムシは、一九三七年に亡くなった。生きているあいだに、彼の思想が世界的な影響を持つことはなかった。けれども戦後、獄中のノートと手紙が刊行されると、彼の言葉は政治学、社会学、文化研究、教育論、歴史学、国際関係論へ広がっていった。彼の思想は、一本の大河というより、地下にしみ込んだ水脈のように、さまざまな場所で別のかたちに湧き出した。
グラムシとは、敗北の中で勝ち方を考えた思想家である。自由を奪われた場所で、自由の条件を考えた思想家である。支配を暴力だけでなく、常識の問題として考えた思想家である。そして、ばらばらの不満が、どうすれば自分たちの言葉を持ち、集団的な意志へ変わるのかを問い続けた思想家である。彼の出発点は、遠いイタリアの監獄にある。だがその問いは、いまも空気を読みながら生きる社会の中に残っている。
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