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問答法ってなに? 哲学用語シリーズ25
第一章 問答法ってなに?
問答法って聞くと、なんかこう、平和におしゃべりして理解を深める“対話の素敵スキル”みたいに思うかもしれない。うん、そう思ってた方が人生は楽。だけど本体はもっと物騒だ。問答法は、質問という形をした検査装置で、相手の頭の中の前提と矛盾をあぶり出す。会話っぽい見た目をしているけど、やってることは思考のデバッグだ。デバッグが何をするかって? 動いてるように見えるプログラムから、バグを見つけて潰す。人間の信念も同じで、普段は「なんとなく動いてる」から問題ない。でも質問を重ねると、動いてると思ってた部分が実は継ぎはぎで、どこかで辻褄が合ってないことが露出する。問答法はその露出を、わりと容赦なくやる。
問答法の基本形はシンプルだ。「それってどういう意味?」「どうしてそう言える?」「例外はない?」「同じことを別の場面でも言える?」この手の質問を積み上げて、相手が使っている言葉の定義と、暗黙の前提をはっきりさせる。哲学っぽい難しい言い方をするなら、概念の輪郭を確定し、推論の筋道を可視化し、矛盾が出るなら矛盾を確定させる。ここで大事なのは、問答法は“相手の意見を論破する技”ではない、という建前……じゃなくて、実際の目的が「勝つ」ではなく「何が真に言えるかを確かめる」に寄っている点だ。もちろん現実では勝負になるし、勝った負けたが発生するし、だから危険なんだけど、少なくとも問答法の芯は、議論を喧嘩から検証に寄せることにある。検証だから、相手の人格を殴る必要は本当はない。殴らなくても、論理が自爆するからだ。嫌な仕組みだね。
じゃあ普通の会話と何が違うのか。普通の会話は、たいてい「分かったつもり」を増やす方向に進む。相手が言いたいことを察し、空気を読んで補完し、話を前へ前へと運ぶ。これは社会生活に必要だ。全員が毎回、言葉の定義から確認し始めたら、昼飯の注文すら終わらない。問答法は逆で、前へ進むことより、足元を固めることを優先する。話を進めるたびに「その足場は本物?」と叩く。足場がグラつけば、話はそこで止まる。止まって、言い直して、定義し直して、前提を入れ替えて、ようやく再スタートする。つまり問答法は、会話のスピードを落とす代わりに、確かさを上げるための方法なんだ。だから哲学に向いているし、だから日常にそのまま持ち込むと嫌われる。みんなが欲しいのは正しさじゃなくて、今夜の平和だったりするから。
問答法が強い理由は、相手の“言ったこと”だけを材料にできる点にある。論者が外から武器を持ち込んで殴るんじゃない。相手が自分で置いた前提と、自分で使った言葉と、自分で認めたルールを使って、そこから帰結を引き出す。結果、矛盾が出たなら、相手の内部で矛盾が起きたことになる。これは反則に見えるけど、実は一番フェアでもある。相手の世界観の中でテストしてるだけだから。だから問答法は、強引な押し付けよりも“逃げ道を塞ぐ”感じになる。逃げ道が塞がれると人は苦しい。苦しいと怒る。怒ると、問答が喧嘩に変わる。ソクラテスが命を落としたのも、問答法そのものというより、問答法が人の面子と共同体の秩序を直撃するからだ。
ここで、問答法の典型的な流れを、言葉だけでざっくり描いてみよう。ある人が「勇気とは怖くないことだ」と言ったとする。問答法はまず「怖くないってどういうこと?」と聞く。すると「危険を感じないこと」と返ってくる。次に「危険を感じない人は勇気があるの?」と聞く。例えば無知で危険に気づいていない人がいる。彼は危険を感じない。じゃあ彼は勇気があるのか。多くの場合、相手は「それは違う」と言う。すると定義が崩れる。では「勇気とは、危険を理解した上で行動することか?」と修正する。さらに「無謀とどう違う?」と聞く。すると「善い目的のために行動すること」と条件が足される。そこで「善い目的って何?」と聞くと倫理の話になる。こうやって、最初は軽い一言だったのが、質問によって深いところへ連行される。問答法が人にとって怖いのは、この“連行”が、本人の意思と関係なく起きることだ。うっかり言った一言が、人生観や価値観の根っこにまで通じていて、そこを掘られると、本人が一番守りたいものが揺れる。
問答法が目指すのは、相手を黙らせることではない。本当は「自分でも分かっていなかったことを、自分の口で分かるようにする」ことだ。ここが教育としての魅力で、問答法が“教える技”というより“考えさせる技”だと言われる理由でもある。人は他人から答えを渡されても、あまり変わらない。納得の形をしていても、心の奥は動いていないことが多い。ところが、自分の言葉で自分の矛盾を発見すると、かなり効く。自分で転んだ痛みは、自分にしかごまかせないからだ。問答法はその痛みを利用して、思考の習慣を変える。だから強力だし、だから扱いが難しい。薬効が強い薬は、副作用も強い。問答法はまさにそれだ。
そしてもう一つ。問答法は「答えがある前提」で動いているように見えて、実は「答えがない可能性」を最初から受け入れる方法でもある。質問を積み上げていくと、最後に残るのは「ここから先は、価値判断や世界観の選択になる」という地点だったりする。つまり、議論が必ず一つの結論に着地するとは限らない。問答法が誠実であろうとするなら、「分かったふり」をしないことが大事になる。分からないものは分からないまま保留にし、分かっていない理由をはっきりさせる。これが哲学の流儀だ。世界に対して、簡単に勝った気にならない。気持ちよく決着をつけたくなる誘惑に、あえて逆らう。人間としてはだるい。でも知的には強い。
問答法の要点をまとめるなら、こうだ。言葉の意味を確定させ、前提を明るみに出し、推論の筋道を検査して、矛盾や曖昧さを減らしていく。目的は論破ではなく、考えの中身を“使える形”にすること。だから問答法は、思想の清掃でもあり、危険物取扱でもある。使えば思考は澄む。だけど澄ませすぎると、相手の顔色と場の空気が濁る。哲学が危険だと言われるとき、その危険の中心には、だいたいこの問答法がいる。質問は優しい顔をしているけど、真面目にやると、人の土台を揺らす。揺れた土台の上にいる人間は、だいたい怒る。だからこそ次章では、ソクラテスが実際に何をし、なぜ“質問”が政治と共同体に刺さってしまったのか、その現場の空気を見に行こう。理屈だけだと、危険さの実感が薄いからね。
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