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差別ってなに? 哲学用語シリーズ28

第一章 差別の最小定義

「差別ってなに?」と聞かれて、いきなり炎上会場に突っ込むのは愚か者のすることだ。だからまずは、火がつく前に消火器の場所を確認しよう。差別の話がややこしくなる理由は単純で、みんなが同じ言葉を使いながら、別のものを指して殴り合っているからだ。「区別」「偏見」「差別」「ヘイト」「不公平」「不平等」が、ごちゃっと一つの鍋に入っていて、しかも煮立っている。ここで必要なのは、議論のための最小限の定義だ。立派な理論より、まず手元の地図。地図がないまま正義の剣を振ると、だいたい味方を切る。

最初に押さえておくべきは、「差をつけること」それ自体は、ただの人間の基本機能だということだ。私たちは毎日、無数の区別をして生きている。食べられるものと食べられないもの、危険と安全、友人と他人、昼と夜。区別しないと死ぬ。だから「差をつける=悪」としてしまうと、議論は最初から破綻する。差別を語るには、まず区別との違いをはっきりさせないといけない。

区別は、目的がはっきりしていて、理由が説明でき、状況が変われば更新される。たとえば病院で、症状の重い人から先に診るのは区別だ。これは「命を守る」という目的があり、「今この瞬間に緊急度が高い」という理由があり、症状が改善すれば順番も変わる。ところが差別は、区別のふりをしながら、特定の人々に不利益を押しつけ、それを当たり前として固定化していく。ここで重要なのは、差別は必ずしも「嫌い」という感情から生まれるわけではないという点だ。嫌いでなくても、本人が善意でも、差別は成立する。これは読者にとって少し腹立たしい事実だろう。だが腹立つからこそ、ここを受け入れないと前に進めない。

では、差別の最小定義は何か。私は三つの要素で捉えるのが扱いやすいと思う。第一に「不利益」があること。第二に「正当化」があること。第三に「固定化」があること。不利益というのは、機会が減る、尊厳が傷つく、安全が脅かされる、生活が不安定になる、といった現実的な損が生じることだ。正当化というのは、その不利益が「当然」「仕方ない」「自己責任」「文化」「伝統」「能力の差」といった言い方で、正しいものとして語られることだ。そして固定化というのは、その状態がたまたまの事故ではなく、繰り返され、維持され、本人が抜け出しにくい形で続くことだ。差別とは、ざっくり言えば「不利益を、正しいこととして語り、抜け出しにくい状態として固定する仕組み」である。

この定義の良いところは、誰かの心の中を覗かなくていい点だ。「差別するつもりはなかった」が免罪符にならないかわりに、「お前の性格が悪いから差別だ」と決めつける必要もない。つまり、人格裁判から距離を取れる。差別の話がしんどいのは、すぐに「悪人探し」になるからだ。悪人探しを始めた瞬間、議論は道徳バトルになり、勝った側が気持ちよく、負けた側が黙る。黙った問題は、何も解決しない。だから本書は、できるだけ行為と仕組みのほうに焦点を当てたい。もちろん、悪意がないわけではない。だが悪意だけを追いかけると、悪意が隠れた瞬間に見失う。

生活の中の例で考えよう。たとえば、採用で「未経験者不可」と書く。これは一見ただの条件だ。だが、未経験になりやすい人が特定の属性に偏っているとき、それは不利益を生む。さらに「努力が足りないだけ」「自己責任」と言われると正当化が始まる。そして、その属性の人がずっと経験を積めないまま固定化される。ここには「嫌い」なんて感情は必要ない。会社は合理的に見える判断をしているだけかもしれない。だが結果として、ある人たちが継続的に排除されるなら、差別の構造が回っている可能性がある。

ここでよく出てくる反論がある。「でも能力や実績で選ぶのは当たり前だろ?」その通り。当たり前だ。問題はそこではない。問題は、何を能力と呼ぶか、何を実績と呼ぶか、その測り方が誰に有利で誰に不利か、というところに潜む。測定が中立に見えるほど厄介だ。テスト、面接、評価基準、マナー、常識。これらは「ただのルール」に見える。しかしルールは、作られた場所と時代の匂いを背負っている。ルールが誰の生活を標準としているかで、スタート地点が変わる。スタート地点の差を無視して「結果だけ平等に競え」と言うと、最初から勝者が決まる。勝者はそれを実力と呼び、敗者は自己責任と呼ばれる。こうして正当化が完成する。

もう一つ、差別を考えるときに重要な視点がある。それは「差別は痛みだけではない」ということだ。差別は、痛みを生むと同時に、誰かに利益を与えることが多い。たとえば、特定の人たちが低賃金で働かされれば、安いサービスが成り立つ。特定の人たちが家事やケアを押しつけられれば、他の人は自由時間を増やせる。特定の地域が危険と見なされれば、別の地域の地価は上がる。つまり差別は、道徳的に悪いだけでなく、社会のどこかに「得」を生むから、しぶとく残る。ここを見ないと、「みんな仲良くしよう」で終わってしまう。仲良くすれば消えるなら、とっくに消えている。しつこいものには、しつこい理由がある。

ただし、ここで変な誤解も生まれやすい。「利益があるなら、加害者は得してるんだから悪だ」と単純化してしまうことだ。現実はもっとねじれている。差別に乗っかることで得をしている人もいるが、その人自身も別の場所で搾取されていたり、不安の中で生きていたりする。だからこそ、差別は「悪人の物語」ではなく、「不安と利害が絡んだ仕組みの物語」になりやすい。ここで人格攻撃に行くと、仕組みは温存され、ただ敵が増える。敵が増えると、社会はさらに荒れ、差別はさらに便利になる。地獄の循環だ。人間は争うほど区別を強化し、区別が強化されるほど差別が増える。ほんと、よくできた自滅装置である。

では、差別かどうかを判断するとき、何を見ればいいのか。心の中ではなく、まず現実の不利益を見る。次に、その不利益がどう説明されているか、つまり正当化の言葉を見る。そして、それが偶然の一回で終わるのか、繰り返されて固定化するのかを見る。この順番が大切だ。なぜなら逆の順番、つまり「差別だと思ったから差別」と言い始めると、相手は「差別じゃないと思ったから差別じゃない」と返すだけで終わるからだ。気持ちの押し付け合いは、議論の形をした綱引きで、前に進まない。生活を少しでも良くするには、綱引きではなく、仕組みの点検が必要になる。

最後に、あえて嫌なことを言っておく。差別の議論には「完全な中立」はない。なぜなら、誰もが何かしらの立場に乗って生きているからだ。私たちは「自分は普通だ」と思いやすいが、その普通は、社会が用意した基準にたまたま近いだけかもしれない。普通に近い人ほど、差別は見えにくい。見えにくいから「存在しない」と言ってしまう。存在しないと言われると、見えている人は絶望する。絶望した人は怒る。怒りは正当化されやすい言葉を探し、社会は分断を深める。こうしてまた、差別が便利になる。だからこの本は、正義の旗を掲げるためではなく、地雷原を安全に歩くための道具として書く。あなたが誰であれ、地雷を踏まないに越したことはない。踏んだら痛いのは、だいたい自分だからだ。

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