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詭弁ってなに? 哲学用語シリーズ30
第一章 ソフィストの時代から始まる「言葉の戦争」
かつてソフィストという人たちがいた。古代ギリシャ、特にアテネの街で「話がうまい」ことがそのまま武器になった時代の、言葉のプロ集団だ。今で言えば、弁護士・政治コンサル・討論講師・プレゼン講師を全部まとめて、しかも露骨に「勝ち方」を教える人たち。だから嫌われる。そりゃそうだ。勝ち方を教えるやつは、勝ちたい人間にとっては神だが、負けたくない人間にとっては悪魔になる。
なぜ言葉がそこまで強かったのか。アテネは民主政だった。いいことっぽい響きだが、ざっくり言うと「みんなで集まって喋って決める」。つまり、決め手は武力でも血筋でもなく、かなりの割合で“口”だ。民会で多数派を取れば政策が通る。法廷で陪審を動かせば勝てる。戦争をするかどうかも、税をどうするかも、誰を追放するかも、わりと喋ったもん勝ちになりやすい。しかも法廷は、現代みたいに専門裁判官が「はい静粛に」と仕切ってくれる世界ではない。市民が市民を裁く。証拠が弱くても、印象が勝つ。印象が勝つなら、印象を作る技術が金になる。ここまで来ると、もうスポーツだ。勝敗がつく以上、トレーナーが生える。
そこで登場するのがソフィストだ。語源的には「知者」「賢い人」くらいのニュアンスで、最初から悪口だったわけではない。彼らは各地を巡り、若者に弁論術や言葉の使い方を教え、報酬を取った。ここがポイントで、報酬を取る。つまり職業として教える。今の感覚だと普通だが、当時の「哲学者」っぽい人たち、特にソクラテスやプラトンの陣営からすると、それは気に食わない。「真理を求める」とか言いながら金を取るのはケチだ、みたいな倫理観もあったし、そもそもソクラテスは“勝ち方”より“正しさ”に興味がある顔をしていた。顔だけかもしれないが、少なくとも本人はそう言う。さらに言えば、ソフィストは教育を“商品”として外部から持ち込む。地方の有力者の息子が、都会の弁舌を買って身に付ける。こういう構図は、既存の秩序を揺らす。教育は権力の中枢だからだ。嫌われる条件、フルコンボである。
ソフィストの代表格としてよく名前が出るのがプロタゴラスやゴルギアスだ。プロタゴラスは「人間は万物の尺度である」という言い方で知られる。要するに、真理は人間の側の見方や立場から切り離せない、という匂いがする。さらに当時の議論には、自然(ピュシス)と慣習・法(ノモス)の対立というテーマもあった。人間社会のルールは自然の必然なのか、それとも取り決めにすぎないのか。もし後者なら、ルールは作り替えられる。そうなると、「説得できる者」がルールを作る側に立つ。怖いよね。ゴルギアスは修辞の魔術師みたいに語られ、「言葉は薬にも毒にもなる」とでも言いたげな、派手で強い言い回しを武器にした。彼らを「詭弁家」と断罪するのは簡単だ。けど、彼らがやっていたのは単なる屁理屈大会だけではない。教育の方法を作り、言葉を分析し、議論を訓練し、都市国家の政治を動かす実務の中で、人間がどう説得されるかを見ていた。現代の視点から見ると、むしろ社会科学の祖先みたいな顔もしてくる。ずるい。いろいろ持ちすぎだろ。
ただし、ここでプラトンが黙っていない。プラトンはソクラテスの弟子で、師匠が言葉で人を追い詰める様子を見て育ち、そして師匠が死刑になるのも見た。そりゃ「言葉の使い方」には敏感になる。プラトンにとって問題は、言葉が真理に向かう道具であるはずなのに、現実では勝利の道具になってしまうことだ。だから彼は、ソフィストを「見かけの知恵(ソフィア)を売る人」と描き、哲学者を「本当の知を愛する人」と描く。ここで、あなたがこれから何度も聞くことになる対立図式が完成する。哲学者=真理、ソフィスト=詭弁。シンプルで気持ちいい。物語として強い。強すぎる。だいたい、強すぎる物語は危ない。
そもそも「詭弁」という言葉自体、かなり政治的だ。誰かの論法を「詭弁だ」と言うとき、それは単に「論理が間違っている」と言っているだけではない。「お前は勝つために言葉を汚している」「お前は誠実じゃない」という人格攻撃まで、セットで投げつけていることが多い。便利だからね。相手の話をちゃんと検討するより、「はい詭弁」で終わらせる方が楽だ。人は楽が好きだ。あなたも私もそう。残念ながら。しかもラベルは一度貼られると強い。「詭弁家」の烙印を押された相手の言葉は、内容より先に“怪しい”と感じられてしまう。言葉は、意味だけで動いてない。印象で動く。だから印象操作の言葉が生まれる。ややこしいね。人間をやめたくなる。
しかし一方で、詭弁という概念が必要になった理由も分かる。言葉が社会の中心にあるとき、言葉のインチキは社会そのものを壊す。法廷でうまく騙せば無実が有罪になり、有罪が無罪になる。民会で煽れれば、短絡的な政策が通る。こういうのは、別に古代だけの話じゃないが、古代アテネはそれが露骨に見える舞台だった。だからこそ、言葉の技術を「教育」として提供するソフィストは、尊敬もされるし、怖がられもする。包丁みたいな存在だ。料理人には必要で、刺される側は嫌う。
ここまでで分かるのは、詭弁とは単なる“間違い”ではなく、“言葉の力”に関する社会的な不安から生まれたラベルだということだ。言葉で勝てる世界では、言葉でズルもできる。そこで「ズルい議論」を見分けたい、あるいは見分けているフリをしたい、という欲望が生まれる。その欲望が「詭弁」という語を育てた。だからこの本では、詭弁を「論理学の間違い集」だけで済ませない。詭弁は、人間関係と権力と感情の中で働く。つまり、ややこしい。すまんな、世界がそういう作りなんだ。
そしてもう一つ、大事な前提がある。ソフィストが全員“悪”だったわけではないし、哲学者が全員“善”だったわけでもない。哲学者だって、相手を追い詰める技術を磨く。ソクラテスの問答法は、相手に矛盾を突きつけて「ほら、分かってないじゃん」とやる方法でもある。本人は真理のためと言うが、受け手からすると「論破された」になることもある。つまり、境界線は思ったより曖昧だ。詭弁は「彼らがやるもの」ではなく、「私たちがやってしまうもの」でもある。
だからこそ、まずは原点としてソフィストを置く。彼らは、言葉を武器として扱うことを正面から引き受けた。プラトンはそれを嫌った。嫌った理由も分かる。だが、嫌ったからといって問題が消えるわけではない。言葉の力は消えない。むしろ社会が大きくなるほど、言葉の力は増える。となると、私たちに必要なのは「詭弁をなくす夢」じゃなくて、「詭弁に飲まれない技術」だ。詭弁は、過去の遺物じゃなく、現役の地雷だからだ。踏んだら痛い。だから地図を作る。ここからその地図作りを始めよう。
なお、この地図は「相手を黙らせるための武器」として作るつもりはない。武器として使えば、あなたもソフィスト側に転職だ。目的はもっと地味で、「自分がズレていないか」を確認するための道具にする。地味だけど、その方が長持ちする。勝ちたい欲が顔を出した瞬間、議論はだいたい濁る。だからまずは、濁る仕組みを知っておく。それが第一歩だ。そして濁ったとき、濁ったまま進まない勇気も要る。面倒だけどね。まあ、ね。
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