文学・思想の一丁目一番地

現実ってなに? 哲学用語シリーズ40

現実ってなに? 哲学用語シリーズ40
現実ってなに? 哲学用語シリーズ40

第一章 現実ってなに?

 現実という言葉は、毎日のように使われている。それなのに、いざ説明しようとすると急に手ごたえがなくなる。現実を見ろと言うときの現実と、現実は厳しいと言うときの現実は、同じようで少し違うからだ。前者では夢想や甘えの反対が意識され、後者では生活を押し返してくる重さが意識されている。つまり現実とは、単に目の前にあるものの名前ではない。人が何かを信じ、何かにぶつかり、何かを受け入れざるをえないと感じるとき、その場に立ち上がってくる言葉なのである。

 たとえば、机の上にコップが置いてあるとする。手で触れれば冷たく、落とせば割れる。このとき多くの人は、これが現実だと迷わず言うだろう。こちらがどう思おうと、コップはそこにあり、力を加えれば反応する。現実にはこの、こちらの都合では消えてくれないという性質がある。願っても割れたコップは元に戻らず、寝坊した朝の遅刻もなかったことにはならない。現実はまず、抵抗として感じられる。こちらの気分や希望より先に、物事のほうが重さをもって立っている。その手ごわさが、現実という言葉のいちばん素朴な意味である。

 しかし現実は、ただ硬い物のことだけではない。財布の中の一万円札も現実だし、銀行口座の数字も現実だし、締切という予定も現実である。ところが一万円札は、紙そのものの価値だけで動いているわけではない。そこには、この紙をお金として扱うという社会の約束が乗っている。締切も同じで、壁のように触れることはできないのに、人の行動を強く縛る。ここからわかるのは、現実には二つの顔があるということだ。一つは石や雨のように物としてある現実、もう一つは制度や約束のように人間のあいだで成り立つ現実である。現実は自然の側にもあり、社会の側にもある。

 さらにややこしいのは、現実がつねに見える形で現れるとは限らないことだ。空気は見えないが現実であり、重力も見えないが現実である。逆に、見えているからといってそのまま現実の正体とは限らない。遠くの人影を知人だと思ったのに近づくと別人だった、暗い部屋で吊るした服が人のように見えた、こうした経験は誰にでもあるだろう。目の前に何かが見えたとしても、それが何であるかは解釈を通っている。人はただ世界を受け取っているのではなく、感覚されたものに意味を与えながら生きている。現実は確かに外にあるが、現実として経験されるためには、こちらの見方や身体の働きが必ず関わってくる。

 このことは、夢や映画や小説を考えるとさらによくわかる。夢の中で崖から落ちれば本気で怖いし、映画の人物が死ねば胸が痛む。体験の強さだけを見れば、それらも十分に現実らしい。では夢と現実の違いはどこにあるのか。ふつう人は、目覚めたあとに夢を夢として区別する。夢の中では自由に飛べたのに、起きたあとでは飛べない。昨日見た夢の中の家へ、今日もう一度行こうとしても行けない。現実には継続性があり、他人と確かめあえるという特徴がある。自分ひとりの気分で成り立つのではなく、昨日と今日がつながり、他人の経験とも重なり、やり直しのききにくさを持っている。この共有可能性と持続性も、現実を現実らしくしている大きな条件である。

 だから現実とは、単に本物という意味ではない。本物らしさは、しばしば感情の強さや細部の豊かさから生まれるが、現実はそれだけでは決まらない。現実は、こちらに作用し、他人とも共有され、時間の中で持続するものとして立ち現れる。たとえば噂は、事実でないことも多いのに、人間関係を壊す力を持つ。その意味では噂もまた現実に働く。逆に、まだ誰にも理解されていない研究成果や、今は数字に出ていない不況の兆しは、見えにくくても現実である。現実とは見えるものの総称ではなく、世界の中で効いているものの総称だと言ったほうが近い。効いているとは、行動を変え、身体に触れ、判断を揺らし、未来を縛るということである。

 ここで哲学が重要になる。なぜなら人は、現実という言葉をあまりに自然に使うため、その中に何が混ざっているかを見失いやすいからだ。事実と現実、真実と現実、世界と現実、存在と現実は、似ているようで一致しない。事実は出来事について言われ、真実は判断や言葉について言われることが多い。存在はあるということそのものを指し、現実はその存在が私たちの経験や行動にどのように現れているかを含んでいる。哲学はこの混線をほどき、何が物の話で、何が知り方の話で、何が社会の話なのかを分けて考えようとする。現実を問うことは、世界そのものだけでなく、世界との関わり方を問うことでもあるのだ。

 では現実とは何か。ここまでをまとめれば、現実とは私たちの都合だけでは消えず、私たちの行動に影響し、しばしば他人とも共有されるかたちで立ち現れるものだと言えるだろう。それは石のように硬いこともあれば、法律やお金のように約束の上に成り立つこともある。また、ただ外にあるだけでなく、感覚や身体や言葉を通して経験されることで輪郭を持つ。現実は外側にだけあるのでもなく、心の中だけにあるのでもない。外から迫ってくるものと、それを受け取る人間の働きとが、ぶつかり合うところに現実は姿を現す。だから現実を考えるとは、世界の正体を探すだけでなく、自分たちがどんな世界を生きているのかを確かめ直すことでもある。現実は冷たい壁であると同時に、私たちが生き、傷つき、判断し、変えようとする場でもある。

現実ってなに? 哲学用語シリーズ40
現実ってなに? 哲学用語シリーズ40

哲学用語シリーズ一覧に戻る
うしPのページに戻る