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二重権力ってなに? 哲学用語シリーズ48

二重権力ってなに? 哲学用語シリーズ48
二重権力ってなに? 哲学用語シリーズ48

第一章 二重権力ってなに?

 二重権力とは、一つの社会の中に、二つの権力の中心が同時に存在している状態である。ただし、これは単に偉い人が二人いるという意味ではない。もっと重要なのは、人々がどちらの命令を聞くのか、どちらを本当の秩序だと感じているのか、どちらに未来を見ているのかということである。肩書きの上では一つの政府がある。法律の上では一人の社長がいる。制度の上では校長がいる。けれど実際には、別の場所から出た言葉のほうが人を動かしている。そこに二重権力が生まれる。

 二重権力を理解するためには、まず「名目上の権力」と「実効的な権力」を分けて考える必要がある。名目上の権力とは、紙の上で認められている権力である。法律、規則、肩書き、役職、任命書、印鑑、看板によって支えられている。一方で、実効的な権力とは、現実に人を動かせる力である。誰の指示で人が集まるのか。誰の判断で物資が動くのか。誰の言葉で危険が止まり、誰の合図で作業が始まるのか。二重権力とは、この二つが同じ場所に収まらなくなった状態である。

 たとえば、ある会社に社長がいる。社長は登記上も、社内規則上も、正式なトップである。けれど経営危機が起き、社長が現場の状況を理解できず、毎日ちぐはぐな命令を出すようになったとする。そのとき、倉庫、営業、経理、製造の人間が、ある古参社員の判断を待つようになる。誰も大声では言わないが、その人が「今日は出荷を優先しよう」と言えば、全員が動く。「その取引先は待たせるな」と言えば、営業が走る。「ここで無理をすると事故が出る」と言えば、作業が止まる。社長室には社長がいる。しかし現場には別の中心がある。この会社には、すでに小さな二重権力が生まれている。

 もちろん、会社の例は比喩である。本来の二重権力は、国家や革命の文脈で語られてきた。典型的な例は、一九一七年のロシア革命である。帝政が崩れたあと、ロシアには臨時政府が生まれた。臨時政府は、形式上は国家を運営する政府である。ところが同時に、労働者や兵士の評議会であるソヴィエトも大きな力を持っていた。兵士たちは政府の命令だけで動いていたわけではない。労働者たちも、工場や街頭で自分たちの評議会を通じて行動していた。政府はある。けれど、政府とは別の場所にも、人々を動かす中心がある。これが二重権力である。

 ここで大切なのは、二重権力は単なる混乱ではないということだ。混乱だけなら、命令が通らず、人々がばらばらに動くだけである。二重権力には、もう一つの秩序がある。古い秩序が弱っているだけでなく、新しい秩序が育っている。古い政府の命令が通りにくくなる一方で、評議会、組合、住民組織、兵士の会議、地域の自治組織などが、実際に人々の生活を支えはじめる。つまり二重権力とは、秩序の消滅ではなく、秩序の分裂である。

 この違いは、災害の場面を考えると分かりやすい。大きな災害が起き、役所の機能が一時的に止まったとする。道路は寸断され、電話はつながらず、物資は足りない。そのとき、町内会、消防団、近所の商店、学校の先生、地元の若者たちが、自分たちで避難所を動かしはじめる。誰が高齢者に水を届けるのか。どこに毛布を集めるのか。どの道が通れるのか。どの家に助けが必要なのか。そうした判断を、公式機関ではない人々が担いはじめる。役所が戻ってくれば、その力はまた役所と合流するかもしれない。しかし、もし役所が信頼を失い、地域組織のほうが本当の秩序として認められるようになれば、そこには二重権力に近い状態が現れる。

 二重権力を考えるとき、重要になる言葉が三つある。正統性、実効性、未来である。正統性とは、人々が「その命令には従ってもよい」と感じる理由である。選挙で選ばれたから、法律で決まっているから、昔からそうだから、専門知識があるから、命をかけて守ってくれたから。正統性にはさまざまな形がある。実効性とは、実際に命令が通る力である。命令を出しても誰も動かないなら、それは権力として弱い。未来とは、人々がどちらに明日を預けているかである。古い権力がまだ残っていても、人々が心の中で「もう次はあちらだ」と思っているなら、権力の重心はすでに移動しはじめている。

 たとえば学校で考えてみる。校長は正式な責任者である。けれど不祥事が起き、校長の説明が信頼されなくなった。すると、保護者会と生徒の代表が集まり、独自に情報を整理し、今後の対応を決めはじめる。教師たちも、校長の指示より、その会議の合意を気にするようになる。表向きには校長がいる。けれど、学校を実際に動かしているのは、別の会議である。このとき問題は「校長と保護者会のどちらが好きか」ではない。問題は、どちらの言葉が現実を動かしているかである。

 二重権力の怖さは、二つの権力がいつまでも平和に並んではいられないところにある。会社なら、社長と現場リーダーが和解することもある。学校なら、校長が保護者会と協力することもある。災害時の地域組織なら、行政が戻ったあとに役割を分担することもある。しかし国家の規模になると、二つの権力中心は、しばしば同じ兵士、同じ税、同じ土地、同じ命令権を取り合うことになる。人々に向かって、こちらに従え、いやこちらに従え、と二つの声が同時に響く。その状態が長引けば、衝突は避けにくくなる。

 だから二重権力は、希望の言葉であると同時に、危機の言葉でもある。古い権力が腐敗し、人々の生活を守れなくなったとき、別の秩序が立ち上がることは希望である。誰かに支配されるだけだった人々が、自分たちで会議を作り、物資を配り、労働を組織し、明日のルールを考える。それは政治が人々の手に戻る瞬間でもある。しかし同時に、二重権力は社会が裂ける瞬間でもある。どちらの権力が本物なのかが決まらないまま、双方が自分こそ正統だと主張すれば、対立は深まる。新しい秩序は自由を生むかもしれないが、別の支配を生むかもしれない。

 ここで、二重権力を「良いもの」か「悪いもの」かにすぐ分けてしまうと、概念の力は弱くなる。二重権力は、まず診断の言葉である。社会の中で、名目上の権力と実効的な権力がズレている。そのズレが一時的なものなのか、構造的なものなのか。古い権力が回復するのか、新しい権力が成長するのか。両者が合流するのか、激突するのか。そうした問いを立てるための言葉である。

 たとえば、あるネットコミュニティで、公式の管理者よりも、長年いる利用者たちの暗黙のルールのほうが強いことがある。規約上は管理者が決める。しかし実際には、有力な利用者が「ここではそういう投稿は嫌われる」と言えば、人々は従う。新参者は規約よりも空気を読む。管理者がルールを変えても、利用者たちが別の場所へ移動すれば、コミュニティの実体も移動してしまう。この場合、サーバーを持っていることと、人々の信頼を持っていることは別である。ここにも、二重権力を考えるための小さな模型がある。

 二重権力という言葉の面白さは、権力を「上にあるもの」としてだけ見なくなるところにある。ふつう権力というと、首相、大統領、社長、校長、親、管理者のように、上の位置にいる人を思い浮かべる。しかし現実の権力は、上から下へ流れるだけではない。人々が従うことで、権力は作られる。人々が信頼することで、権力は強くなる。人々が別の場所へ集まり、別の命令を聞き、別の未来を信じはじめると、権力は移動する。二重権力とは、その移動が目に見える形で現れた状態である。

 その意味で、二重権力は「誰が偉いのか」を問う言葉ではない。「誰が現実を動かしているのか」を問う言葉である。肩書きのある人が本当に支配しているとは限らない。反対しているだけの人々が、すでに別の秩序を作りはじめていることもある。古い制度が残っているからといって、古い権力が生きているとは限らない。新しい制度がまだ正式に認められていないからといって、新しい権力が存在しないとも限らない。

 二重権力とは、古い秩序がまだ倒れていないのに、新しい秩序がすでに人々を動かしはじめている状態である。この定義を持つと、歴史の見え方が変わる。革命は、王や政府が倒れた瞬間だけで起きるのではない。その前に、誰の言葉で人が動くのか、誰が生活を支えているのか、誰に未来が集まっているのかが変わっている。二重権力は、その変化をとらえるための言葉である。

 第一章で押さえるべきことは、一つだけでよい。二重権力とは、権力が二つあるというより、権力の場所が割れているということである。看板は古い権力にある。人々の信頼は新しい権力に移りつつある。法律は一方を指している。現実はもう一方へ傾いている。このズレを見抜くと、政治も、組織も、日常の人間関係も、少し違って見えるようになる。権力とは、偉い人の椅子に宿るものではない。人々が動く場所に宿るものである。

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