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労働ってなに? 哲学用語シリーズ58

労働ってなに? 哲学用語シリーズ58
労働ってなに? 哲学用語シリーズ58

第一章 労働ってなに?

 労働とは何かと聞かれると、多くの人は会社へ行き、上司の指示を受け、時間を売り、給料をもらうことを思い浮かべる。

 もちろんそれは労働の一つである。けれども、それだけを労働だと言ってしまうと、夕食を作る人、子どもを寝かしつける人、親を介護する人、店を一人で切り盛りする人が、見えない場所へ押し出されてしまう。

 この章で最初に置くべき言葉は、「労働は雇用より広い」である。雇用とは、誰かに雇われ、その人や組織が決めた条件のもとで働く関係をいう。労働はそれより大きい。報酬がある場合もあれば、ない場合もあり、命令される場合もあれば、自分で段取りを決める場合もある。賃金は重要な目印だが、労働の入口に立つ門番ではない。

 たとえば、ある人が会社で八時間働き、帰宅してから家族の食事を作るとする。前半には給料が出るが、後半には出ない。社会の表面では、前半だけが「仕事」と呼ばれやすい。しかし一日の暮らしを支えているのは、前半だけではない。食事や洗濯や掃除、介護や看病は、誰かがしなければ生活そのものが止まる活動である。

 労働を考えるとき、活動の中身だけを見ると足りない。同じ文章を書く行為でも、日記として書く場合と、依頼を受けて納品する場合では意味が変わる。手の動きは似ていても、誰のためか、どんな約束の下かで、労働としての形は変わる。

 ここで大事なのは、労働を物の名前ではなく、関係の名前として見ることである。椅子を作る人は、木材に働きかけるだけではない。使う人の身体、売る相手の都合、納期を決める制度、生活費の必要とも結ばれている。労働は、一人の内側で完結しない。

 だから、社会は何を労働として数えるのかを常に選んでいる。給料が出る活動だけを数えれば、家庭の中で積み重なる時間は見えにくい。会社の肩書きだけを見れば、個人で仕事を受ける人や、地域を支える人の働きはぼやける。数え方は、中立ではない。数えないことは、価値がないと見せる力を持つ。

 たとえば、ゴミを集める仕事が一日止まれば、町はすぐに変わる。駅の清掃、病院の受付、物流の仕分け、学校の給食も同じである。ふだん透明に見える労働ほど、止まった瞬間に社会の骨組みとして現れる。労働は、目立つ成果だけではなく、何事もなく続く日常を作っている。

 では、趣味は労働なのか。休日にパンを焼くことは、楽しみかもしれない。だが、同じパンを毎朝家族のために焼き、店に並べるとき、それは生活を支え、他者に必要とされる活動になる。

 労働かどうかは、気分だけで決まらない。誰の必要を支えたか、どんな結果を生んだか、どれほど拘束を受けたか。こうした問いが重なるところで、楽しみだった行為は、社会的な意味を持つ労働へ近づいていく。

 労働という語には、はじめから重さがある。労は、疲れること、骨を折ること、ねぎらわれるべき苦労を含んでいる。だから労働は、ただの活動ではない。そこには身体の消耗、時間の拘束、失敗すれば誰かが困るという責任がまとわりつく。机上の言葉で言えば、労働とは世界や他者に結果をもたらす活動である。

 ただし、日本語の「仕事」はさらに広い。仕事には、職業という意味もあれば、今日やるべき用事という意味もある。「ちょっと仕事を片づける」と言うとき、相手は会社の業務を想像するかもしれない。町内会の役目や、家族から頼まれた用事を思うこともある。

 仕事は、日常の広い箱である。労働は、その箱の中でも、生活や生産に深く関わる重い部分を指す。さらに雇用は、労働の中にある一つの制度である。箱で言えば、仕事という大箱の中に労働があり、その中の一部に雇用という引き出しがある。

 勤労という語は、さらに別の響きを持つ。働くことを、よいこと、まじめなこと、社会の一員として果たすべきこととして語る響きである。「勤労感謝」という言葉には、苦労への感謝と同時に、働く人をよい人として見る視線が入っている。ここから、労働の哲学はすぐ道徳の問題へつながる。なぜ働く人はほめられ、働かない人は疑われるのか。

 もう一つ、後の章で何度も戻ってくる言葉がある。労働力である。労働力とは、実際に行われた作業そのものではなく、働くことができる能力の束である。腕の力、集中力、経験、言葉づかいまで、そこには含まれる。

 人が会社に入るとき、売っているのは完成品ではない。一定時間、自分の労働力を使わせる約束をしている。だから労働を考えるとは、賃金の額だけでなく、能力を使う条件、休む権利、断る余地まで考えることでもある。

 この区別は、現代の働き方を考えるときに役立つ。アプリで配達を受ける人は、自分で働く時間を選んでいるように見える。けれども、表示される報酬、評価の点数、注文の割り振り、停止される危険が働き方を決めているなら、そこには別の形の管理がある。自由に見える働き方ほど、どこに命令が隠れているのかを見なければならない。

 反対に、家の中のケアは管理されていないように見える。だが、子どもが泣く時間、親の通院日、洗濯物の量、家族の好みは、強い拘束になる。誰かが「好きでやっている」と言った瞬間、労働としての重さは消えたように扱われる。

 しかし、愛情があることと労働であることは矛盾しない。むしろ愛情があるからこそ、負担は見えにくくなる。赤ん坊を抱く手は、商品を作っていないかもしれない。けれども、その手がなければ、明日の労働者も、明日の市民も育たない。

 労働には、二つの顔がある。一つは、生を支える顔である。食べるものを作り、住む場所を整え、病む人を世話し、社会の道具やサービスを保つ。

 もう一つは、人を削る顔である。長すぎる勤務、低すぎる賃金、意味を感じられない作業、逃げられない責任は、人間の時間と身体を少しずつすり減らす。労働は尊い、という言葉だけでは、この暗い面を隠してしまう。

 だから、労働をめぐる哲学は、働くことは善いか悪いかという単純な判定では終わらない。問いは、もっと細かい。どの労働が生を支え、どの労働が人を壊し、どの労働が見えなくされ、どの労働が過剰に称賛されているのか。ここを分けて考えると、働くことへの違和感は、ただの甘えではなく社会の構造を読む手がかりになる。

 このように見ると、労働は単なるお金の問題ではない。もちろん収入は重大である。だが、それだけでは、働く人が何を失い、何を得て、誰と結ばれているのかが見えない。労働は、財布の中だけでなく、時間の使い方と人間関係の形にも現れる。

 この本では、労働を「生を支え、世界を作り、他者とかかわり、支配にも承認にもつながる人間活動」と考える。この定義は、広すぎるようでいて、必要な線を引いている。労働はただの運動ではない。石を拾って投げるだけなら活動だが、道を直すために石を運ぶなら労働に近づく。

 労働は、雇用より広い。賃金は、価値の唯一の物差しではない。仕事という広い日常語の中で、労働は生活の必要と社会の仕組みに深く刺さっている。ここから先の章では、この刺さり方を何度も見直していく。自由の問題として、所有の問題として、道徳や搾取やケアや未来の問題として。

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