文学・思想の一丁目一番地
反知性主義ってなに? 哲学用語シリーズ32
第一章 反知性主義ってなに?
反知性主義とは、知性そのものを単純に嫌う態度ではない。むしろそれは、知識人、専門家、学者、あるいは理屈にもとづいて慎重に考える姿勢に対して、不信や反発を向ける傾向を指すことが多い。ここで大事なのは、反知性主義をただの無知や低学歴と同じものとして扱わないことだ。学校の成績がよい人でも反知性主義的になることはあるし、学歴がなくても知的に考える人はいくらでもいる。
この言葉がやや分かりにくいのは、反知性主義が「知能への反対」ではなく、「知の権威への反発」という形で現れやすいからだ。たとえば、大学の研究者が長い時間をかけて説明した内容よりも、「そんな難しいことはいいから、常識で分かるだろ」と言い切る人の言葉が支持されることがある。あるいは、専門家が不確実性を含めて慎重に話すと、「はっきり言えないなら信用できない」と受け取られ、断定的で単純な意見のほうが力を持つこともある。そこでは知識の量よりも、分かりやすさや勢いが優先される。
反知性主義を理解するためには、まず知性とは何かを大まかに考えておく必要がある。ここでいう知性とは、単に物知りであることではない。ものごとを急いで決めつけず、証拠を集め、自分の思い込みも疑いながら、複雑な現実を複雑なまま受け止めようとする態度まで含んでいる。つまり知性とは、正解をすぐ叫ぶ力というより、不確かな状況で考え続ける力なのだ。反知性主義は、こうした遅さ、慎重さ、自己修正の姿勢を、まどろっこしいものとして嫌う傾向を持つ。
たとえば病気が流行したとき、医師や研究者は、現時点で分かっていることと、まだ分からないことを区別して話す。これは誠実な態度だが、聞く側からすると歯切れが悪く見えることがある。そのとき、「全部最初から分かっていたはずだ」と怒ったり、「専門家はいつも言うことが変わる」と決めつけたりする反応が起きる。だが、本来の知性は、状況に応じて判断を更新するところにある。反知性主義は、この更新を弱さやごまかしだと感じやすい。
ただし、反知性主義にはそれなりの理由がある。知識人や専門家が、いつも信頼に値するとはかぎらないからだ。難しい言葉を使って現実から逃げたり、人を見下すような態度を取ったり、制度の内側で安全な立場にいながら現場の苦しみを理解しなかったりすることもある。そうした経験が積み重なると、「どうせあいつらは口だけだ」という感情が育つ。反知性主義は、完全に根拠のない悪意というより、知の側の傲慢さに対する反動として出てくる場合も多い。
しかし、その反動が強くなりすぎると問題が起きる。知識人の傲慢を批判することと、知識そのものを敵視することは違うからだ。専門家に誤りがあるからといって、専門知そのものが不要になるわけではない。ある学者の説明が気に入らないからといって、検証や証拠まで無意味になるわけでもない。それなのに反知性主義が進むと、「自分がそう感じるから正しい」「難しい説明をするやつは信用できない」「学者より現場の勘のほうが上だ」といった形で、考える手続きそのものが軽んじられていく。
ここで見落としてはいけないのは、反知性主義が感情の問題であると同時に、社会の構造の問題でもあることだ。近代社会は、政治、医療、教育、経済、科学のすべてが高度に専門化されている。そのため人びとは、自分の生活を左右する判断を、よく知らない専門家たちに委ねざるをえない。だが、委ねることが増えるほど、「自分たちは置いていかれている」という感覚も強くなる。反知性主義は、その疎外感が怒りに変わったときに勢いを持つ。
さらに現代では、SNSや動画サイトがこの傾向を増幅しやすい。短く、強く、分かりやすく、敵味方がはっきりしている言葉ほど拡散されやすいからだ。「これは複数の要因が重なっています」と話す人より、「真実は一つです」と断言する人のほうが目立つ。慎重な説明は弱く見え、乱暴な単純化は力強く見える。こうして反知性主義は、単なる個人の性格ではなく、情報環境そのものと結びついた現象になっている。
反知性主義とは、単に勉強嫌いを指す言葉ではない。それは、知識、理性、検証、専門性、批判的思考といったものに対して、面倒なもの、信用できないもの、あるいは自分たちを抑えつけるものとして反発する態度である。しかもその態度は、ときに痛快で、分かりやすく、仲間意識を生みやすい。そのため多くの人を引きつける力を持つ。反知性主義が危険なのは、愚かだからではなく、ある種の魅力を持っているからだ。
反知性主義を考えるとは、知性の意味を考えることでもある。知性は、偉そうに見せるための飾りではない。本来それは、自分の感情や先入観をいったん脇に置き、分からないことを分からないまま引き受け、それでも少しずつ判断を磨いていくための力である。反知性主義は、その不便さに耐えられなくなったときに現れる。だからこの言葉を理解する第一歩は、知性とは速く勝つための武器ではなく、誤りながらも考え続けるための技術だと知ることにある。
『反知性主義』という言葉をどこで切るかで知性が問われる
哲学用語シリーズ一覧に戻る
うしPのページに戻る