文学・思想の一丁目一番地

真の反戦活動家

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第一章 保守のリベラリスト

 俺は保守のリベラリストである。

 自分でそう名乗っている。SNSのプロフィールにも書いてある。日の丸の絵文字の横に「保守のリベラリスト」と置き、その下に「対米従属反対・対中露従属反対・自主独立反対」と書いている。最後の自主独立反対まで読む人は少ないらしく、ときどき愛国者からフォローされ、三日ぐらいすると黙って消えていく。

 朝、スマホを開くと通知が四十七件あった。

 俺は布団の上で横になったまま、一件ずつ読む。アイコンが日の丸の男からは「パヨク」とリプが来ていた。青空の写真をアイコンにしている女からは「ネトウヨ」とリプが来ていた。

 俺は両方にいいねを押した。

 正しい位置にいる証拠だと思っている。

 保守からリベラルと呼ばれ、リベラルからネトウヨと呼ばれる。右から撃たれ、左から撃たれる。そこで俺は中央にいるとは考えない。中央なんてものは右と左が作った座標の中にしか存在しない。俺は座標そのものがおかしいと言っている。

 机の上には昨日飲んだコーヒーの缶が二本あった。一本は空で、もう一本には少し残っていた。口をつけると冷たかったので、そのまま飲んだ。

 タイムラインでは朝から戦争の話をしていた。

 ある国会議員が防衛費について発言したらしい。その切り抜き動画の下で、知らない人間が何百人も争っている。

 日本は自分の国を自分で守るべきだ、と書いている男がいる。

 軍拡競争をやめなければ戦争になる、と書いている女がいる。

 俺は鼻で笑った。

 両方とも同じだった。

 武力を増やすのか、減らすのか。その話しかしていない。

 俺に言わせれば、そこからして間違っている。

 チェス盤の上で白を持つか黒を持つか争っている人間に、俺はチェス盤を燃やせと言っているのである。

 俺はパソコンを開き、キーボードを叩いた。

「反戦派も防衛派も武力という価値観を前提にしている時点で同類」

 投稿した。

 三十秒もしないうちに反応がついた。

 日本を侵略されたらどうするのか、と言う人間が現れた。

 俺はその人物のプロフィールを開いた。富士山の写真。保守。愛国。減税。猫好き。

 猫好きだけは評価できる。

 俺は返信を書いた。

 侵略された場合にどうするかという問い自体が、すでに国家同士が武力によって領土を奪い合う世界を前提にしている。その世界を維持したまま日本だけ安全になる方法を探しても意味がない。日本が軍事大国になれば安全になるという話でもない。島国である以上、資源も航路も海底ケーブルも衛星も国外と接続している。国境線の内側だけで国家を完結させることはできない。

 送信した。

 すぐに別の人間から「中国の工作員」という返信が来た。

 その十秒後、今度は別の人間から「軍国主義者」という返信が来た。

 俺は椅子にもたれた。

 気分がいい。

 両軍から撃たれている。

 今日も俺だけが戦場の外にいる。

 ただし俺は反戦主義者でもない。

 反戦もクソだと思っている。

 戦争反対、と叫んで戦争がなくなるなら、人類はとっくに戦争をやめている。反戦活動には長い歴史がある。それでも戦争は続いている。俺は実績を重視する人間だ。百年やって成果がない方法をありがたがる趣味はない。

 第一次世界大戦が始まる直前まで、ヨーロッパの社会主義者たちは国境を越えて労働者が団結すれば戦争を防げると考えていた。ところが開戦すると、各国の労働者は自国の軍服を着て、国境の向こうにいる労働者を撃った。思想は国境を越えたが、砲弾も国境を越えた。人類史にはこういう笑えない話がときどきある。

 だから俺は反戦という言葉を信用していない。

 もちろん防衛も信用していない。

 日本が防衛力を増強する。

 その結果、周辺国も軍備を増やす。

 日本はさらに増やす。

 相手も増やす。

 最後に全員が大量の武器を持って「平和になった」と言い張る。

 それは平和ではない。

 全員が包丁を握ったまま食卓についているだけだ。

 とはいえ、日本だけ包丁を捨てればいいとも思わない。

 そんなことをすれば、包丁を持っている国の都合で献立を決められる。

 アメリカに守ってもらえば、アメリカの事情が入ってくる。

 中国に近づけば、中国の事情が入ってくる。

 ロシアに近づいても同じである。

 自主独立という言葉も気に入らない。

 日本だけで何でもできるようにする、という話を聞くたびに地図を見ろと思う。

 日本列島は海に浮かんでいる。

 石油は海の向こうから来る。食料も来る。通信もつながっている。外国製の部品が入った機械を使い、外国の市場で物を売り、外国の船が通る海を使って暮らしている。

 完全に独立した日本を作るなら、まず日本列島を地球から切り離さなければならない。

 それは無理である。

 だから俺は考える。

 問題は日本が弱いことではない。

 強い国が弱い国を動かせる世界そのものが問題なのである。

 その日の昼、俺はカップ焼きそばを食べながら投稿を続けた。

 机の右側にソースが一滴落ちた。ティッシュで拭いたが茶色い跡が残った。

 タイムラインでは、さっきの防衛費の話がまだ続いていた。

 俺は新しく投稿した。

「日本こそ世界最高の国である。だから日本が世界に合わせる必要はない。世界を日本に合わせればいい」

 すぐに「帝国主義」という返信がついた。

 俺は首を振った。

 そういう話ではない。

 戦車で世界を征服したいわけではない。軍艦を並べて世界中の港に日の丸を立てたいわけでもない。

 それでは今までと同じである。

 俺がやりたいのは、戦争が強い国を決めるゲームではなくなる世界だ。

 百メートル走で世界一を決めている場所に、突然「今日から足の速さには価値がありません」と宣言するようなものだ。

 武力が強い。

 人口が多い。

 核兵器を持っている。

 空母がある。

 そんな数字で国家の発言力が決まること自体が気に入らない。

 日本が世界をリードするなら、アメリカを軍事力で抜く必要はない。

 中国に勝つ必要もない。

 ロシアを倒す必要もない。

 戦争をする能力自体を、クソほど価値のない能力に変えてしまえばいい。

 それこそ愛国ではないか。

 俺はそう思っている。

 夕方になるころには、朝の投稿が少し伸びていた。

 返信欄はひどい状態だった。

 右翼。

 左翼。

 お花畑。

 軍国主義。

 売国奴。

 中二病。

 アメリカの犬。

 中国の犬。

 犬だけで二種類ある。

 俺は一件ずつ読んだ。

 そして、相手の論理の穴を探した。

 この作業は得意だった。

 引用された統計の年度が古ければ指摘する。言葉の定義が曖昧なら突く。反例があれば出す。前提が隠れていれば引きずり出す。

 一人消える。

 また一人来る。

 俺は書く。

 相手も書く。

 気づけば外が暗くなっていた。

 部屋の窓には俺の顔が映っていた。モニターの白い光だけが頬に当たっている。

 そこへ、新しい返信が一件ついた。

「お前の言ってることは分かったよ。じゃあ、お前が正しいとして、お前はなにすんの?」

 俺は画面を見た。

 カーソルが点滅していた。

 返信欄を開いた。

 文字を打とうとした。

 手が止まった。

 俺が何をするのか。

 反戦活動を否定する。

 軍備増強を否定する。

 対米従属を否定する。

 親中も親露も否定する。

 自主独立も否定する。

 そこまでは言える。

 では、その次に何をするのか。

 俺は椅子から立った。

 冷蔵庫を開けた。

 麦茶を飲んだ。

 戻ってきた。

 まだカーソルが点滅していた。

 腹が立ってきた。

 こいつは議論のルールを分かっていない。

 俺は思想の話をしているのであって、具体的な政策の話をしているわけではない。そもそも俺は政治家でも官僚でもない。一市民に世界平和の実行案まで要求するのは論点のすり替えではないか。

 そこまで考えて、少し安心した。

 俺は相手のプロフィールを開いた。

 フォロワー百三十二人。

 猫の写真。

 また猫だった。

 俺はブロックボタンを押した。

 画面から相手が消えた。

「よし」

 声に出した。

 静かになった。

 俺はタイムラインへ戻った。

 誰かがまた防衛費の話をしていた。

 誰かが戦争反対と書いていた。

 誰かが中国を批判し、誰かがアメリカを批判し、誰かが日本を批判していた。

 俺は新しい投稿を書こうとした。

 指が止まった。

 さっきの一文が頭に残っていた。

 お前はなにすんの。

 ブロックしたので、もう相手の投稿は見えない。

 それでも文章だけが消えなかった。

 俺はスマホを伏せた。

 部屋の中でパソコンのファンが回っていた。

 机には空き缶が二本あり、焼きそばのソースの跡が残っている。

 窓の外では車が一台、住宅街の道を通った。

 世界は動いていた。

 俺が誰かを論破しているあいだも、ずっと動いていた。

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