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ボス入門 哲学入門シリーズ175

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第一章 ボスってどんな人?

 メダルト・ボスという名前は、哲学の本棚にも、精神医学の本棚にも置かれうる、少し変わった響きを持っている。医師であり、精神療法家であり、しかも人間とは何かを土台から考え直そうとした人でもあった。ふつう精神科医と聞くと、症状を見て診断し、原因を推定し、治療法を選ぶ専門家を思い浮かべる。だがボスは、その手順そのものに疑いを向けた。人間を機械のように見てしまうと、いちばん大事なものがこぼれ落ちるのではないか。彼の仕事は、その疑いから始まっている。

 ボスは一九〇三年、スイスに生まれた。チューリッヒ大学を卒業したのち、パリやウィーンで学び、さらにロンドンやベルリンでも研究を重ねている。若いころの彼は、最初から独自路線の異端者だったわけではない。むしろ当時の最前線に、かなり正面から入っていった人だった。心理療法の面ではフロイトやユングから強い影響を受け、チューリッヒではブロイラーのもとでも学んでいる。つまりボスは、精神分析や近代精神医学の外にいた人ではなく、その中心にかなり近い場所から出発した人だった。

 ここが、まず面白い。外から石を投げる批判者なら、いくらでもいる。だがボスは中に入り、実際に学び、訓練を受け、患者と向き合ったうえで、なお違和感を捨てなかった。彼は、心の奥に隠れた原因を掘り当てれば人間が分かる、という発想にどこか窮屈さを感じていたように見える。たとえば、ある人が人前で強く緊張するとする。そのとき、過去の出来事や抑圧された欲望を手がかりに説明することはできる。だがそれだけで、その人が今この世界をどう生き、何を恐れ、何に閉ざされているのかまで見えたことになるのか。ボスの問いは、だいたいこのあたりにある。

 この問いを持つと、人間の見え方がかなり変わる。症状は、体や心のどこかに生じた故障ではなく、その人が世界とのつながりをうまく開けなくなった状態として見えてくる。夢もまた、暗号のような記号列ではなく、その人の生き方が夜のかたちで現れたものとして読めるようになる。言い換えればボスは、心の中に閉じこもった人間ではなく、世界の中で生きている人間を見ようとした。ここに、のちの現存在分析へつながる発想の芽がある。

 その転換を決定的にしたのが、ハイデガーとの出会いだった。ボスは戦後、ハイデガーと手紙を交わし、長い交流を持つようになる。やがてその関係は、個人的な私淑にとどまらず、医師や学生たちも交えたツォリコーン・ゼミナールへと広がっていった。そこでは、哲学の抽象的な議論がそのまま医学や心理療法の基礎へ差し向けられた。人間を「心という容器を持つ個体」としてではなく、「世界の中で生きる存在」として考える視点が、臨床の場へ本格的に持ち込まれていったのである。

 ここでボスは、難しい哲学をそのまま病院へ持ち込んだ人、とだけ理解すると外してしまう。むしろ逆で、彼は患者の現実に触れていたからこそ、既存の説明の浅さに耐えられなくなったのだろう。たとえば、不安を感じる人がいるとして、その不安をただ除去すべき症状として扱うなら、話は比較的簡単になる。薬を使い、訓練をし、落ち着かせればよい。だがボスは、その不安の中に、その人が自分の可能性や自由とどう向き合っているかを見る。不安は単なる不具合ではなく、人間が生きることの深さに触れている徴候でもある。そう考えた。

 だから彼の関心は、夢だけにも、神経症だけにも向かなかった。身体の病、性の問題、心身医学、東洋思想との出会いまで、彼の仕事はかなり広い。だがそれらはばらばらではない。一貫しているのは、人間を部分の寄せ集めとしてではなく、世界の中で開かれた全体として見ようとする態度である。

 この人を一言で言えば、ボスは「心の地下室」を探す人ではなく、「生の風通し」を見る人だった。フロイト的な図式では、表面の言動の下に無意識があり、さらにその下に抑圧や欲動がある、という縦の深さが重視される。ボスはそういう深さを完全に否定したわけではないが、それよりも、人がどんな世界に開かれ、どんな可能性を閉ざしているかという横の広がりを重視した。たとえば、同じ「会社に行けない」という状態でも、単なる恐怖反応として見るか、その人の世界全体が細く狭くなっていると見るかで、理解の仕方は大きく変わる。

 しかもボスの魅力は、単にやさしい人間理解を語ったところにはない。彼は、人間には自由があり、その自由はときに苦しく、重く、不安をともなうと考えた。生きるとは、快適な管理の中で守られることではなく、自分のあり方を引き受けることでもある。だからボスの本には、慰めだけではなく、ある種の厳しさがある。人間はただ説明される存在ではない。人間は、自分の生をどう開くかをつねに問われる存在なのだ。こうした緊張感があるからこそ、彼の議論は今も古びにくい。

 現代では、心の不調も、対人関係の悩みも、すぐにラベルで整理されやすい。便利ではあるが、そのぶん人間の輪郭は平板になりやすい。ボスを読む意味は、まさにそこにある。人は診断名より広く、症状より深く、しかも単なる内面より外の世界と強く結びついている。その当たり前でいて忘れやすいことを、彼は何度でも思い出させる。メダルト・ボスとは、精神科医でありながら、精神科医という枠を少しはみ出し、人間という出来事そのものを見ようとした人だったのである。次の章では、その彼が、なぜ精神分析に決定的な不足を感じたのかを、もう少し踏み込んで見ていく。

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