うしPのサイト
文学・思想の一丁目一番地
パワープロセスとはなにか
パワープロセスとは、人が自分で目標を立て、その達成のために努力し、実際にある程度それを成し遂げるまでの流れを指す言葉である。もともとはセオドア・カジンスキーの『産業社会とその未来』で広く知られた概念だが、言葉そのものはもっと一般的に、人間が生きている実感を得る仕組みとして読むことができる。この概念の要点は、ただ結果が出ることではなく、自分の意志で動き、苦労し、手応えを持って前に進むことにある。
人は食べて寝るだけでは、案外満たされない。安全で快適な環境にいても、どこか空虚さを感じることがある。その理由を、パワープロセスという考え方はかなり鋭く説明する。人間はただ欲望を満たしたいのではなく、何かに向かって働きかけ、自分の力で状況を変えたと感じたいのである。目標があり、そこへ向かう努力があり、その努力が一定の成果につながる。この一連の感覚が、生の充実感に深く関わっているというわけだ。
この概念では、目標にはいくつか条件がある。第一に、その目標は簡単すぎてはいけない。指一本で終わることでは、達成しても満足感は弱い。第二に、あまりにも不可能でもいけない。どう頑張っても届かないものは、人を無力感へ追い込む。第三に、その過程に自分の判断が入る必要がある。誰かに命じられ、決められた通りに動くだけでは、結果が出ても自分の達成とは感じにくい。つまりパワープロセスとは、適度な難しさ、努力、成功可能性、自律性の四つが揃ったときに成立しやすい。
たとえば、昔の人間は生きるために狩りをし、畑を耕し、住まいを守らなければならなかった。そこでは目標が明確で、努力の必要も大きく、失敗すれば生活に直結した。しかも多くの場合、自分や共同体の判断がものを言った。こうした環境は厳しい反面、人間にとって強い意味の感覚を与えたと考えられる。もちろん昔が楽園だったわけではないが、少なくとも目標と努力と成果のつながりは、今より見えやすかった。
これに対して現代社会では、生存に必要な多くのことが制度化され、機械化され、代行されている。食べ物は店に並び、水は蛇口から出て、移動も情報取得も以前よりはるかに容易になった。これは大きな進歩だが、その一方で、人が自分の力を直接使う場面を減らした。しかも、会社や学校や行政の巨大な仕組みの中では、自分の行為が本当に何を変えたのか見えにくい。頑張っても、決定権は別の場所にあり、自分は歯車の一つにすぎないと感じやすい。ここでパワープロセスの不足が起きる。
この不足を埋めるために、人はしばしば本来の生存とは関係のない活動へ強くのめり込む。カジンスキーはこれを代理活動と呼んだ。学歴競争、地位争い、過度な趣味、終わりのない自己改善、数字の積み上げに没頭する行為などは、その例として読める。もちろん勉強や趣味そのものが悪いのではない。問題は、それらが自分の意志から出たものではなく、空虚さを埋めるための代替装置になったときである。目的そのものを愛しているのではなく、何かに追い立てられるように続けているなら、そこにはパワープロセスのゆがみがある。
この概念が今でも響くのは、現代人の不満をかなり正確に言い当てるからだろう。便利になったのに満たされない。自由になったはずなのに息苦しい。選択肢は増えたのに、自分の人生を自分で動かしている感じが薄い。この矛盾を、パワープロセスという言葉は一つの枠組みで捉える。人は快適さだけでは生きられず、苦労そのものを必要としている。正確には、意味のある苦労、自分の働きかけが現実に触れていると分かる苦労を必要としているのである。
ただし、この概念には注意も必要だ。第一に、人間の不幸をすべてパワープロセスの欠如だけで説明するのは乱暴である。貧困、差別、病気、家庭環境、偶然の不運など、人生にはもっと複雑な要因がある。第二に、自律性を重んじるあまり、他者との協力や制度の恩恵を過小評価してしまう危険もある。社会保障や医療や教育は、人間の尊厳を奪うだけの仕組みではなく、多くの人を救ってきた。第三に、この考え方は強者の論理へ滑りやすい。困難を乗り越えろという言葉が、弱った人への圧力に変わることもある。
それでも、パワープロセスという視点には使い道がある。自分がなぜ空しいのか、なぜ妙にイライラするのか、なぜ何かを達成してもすぐ虚脱するのかを考える手がかりになるからだ。たとえば、目標が他人から借りたものではないか、努力の過程に自分の判断があるか、成果が見える形で返ってくるかを確かめるだけでも、自分の生活はかなり見えやすくなる。大きな理想でなくてもよい。自分で決めた作業を積み重ね、少しずつ進み、その変化を確かめられる生活は、それだけで人を安定させることがある。
結局のところ、パワープロセスとは、人間が単なる消費者でも受信機でもなく、世界に働きかける主体でありたいという欲求の名前である。人は楽をしたいが、楽だけでは壊れる。守られたいが、守られているだけでも息が詰まる。だからこそ、自分で目標を持ち、自分の力を使い、現実の手応えを得ることが必要になる。この概念の価値は、文明を全面否定するところにはない。むしろ便利さの中で失われやすい、生きる実感の条件を言葉にしたところにある。パワープロセスとは、努力の礼賛ではなく、自分の人生に自分が参加しているという感覚を取り戻すための鍵なのである。
ユナボマー関連記事
ユナボマーマニフェスト(産業社会とその未来)_日本語訳
パワープロセスとはなにか
パワープロセスと昭和天皇
カジンスキーの左翼批判要約
カジンスキーの右翼批判要約
カジンスキーのテクノロジー批判要約
ユナボマーに関連付けられる哲学者
なぜユナボマーマニフェストは人を惹きつけるのか